わが家の歴史

 

ここではわが家のアルバムから、写真を選び、紹介します。写真をクリックすると、大きくなります。

 

若てっちゃん

お店の看板となっている「てっちゃん」こと、先代の鈴木鉄司です。

農家の息子として育ち、茶農家を継ぐ。

18歳、自宅茶畑の前にて撮影。

この頃から、トレードマークになっている

パンチパーマの気配がありました。

 

精揉機

当時の茶工場の様子です。

当時は、茶部屋と呼んでいました。

 

 

旧屋敷2

茶部屋と自宅の間の道です。今はもう建てかえてしまったのでありませんが、懐かしい。

 

 

旧屋敷

 

これが、建てかえ前のわが家です。先代鉄司と園主健悟が生まれ育った家と、手前がお茶の発送などをする事務所です。

たくさんの思い出が生まれた家でした。

 

 

夫婦1

 

私の母やすよと父の若かりし頃。

この写真は、結婚式の案内に使ったものだとか。

 

 

若夫婦

鉄司とやすよ。ケンカもしたけど、仲良くお茶をやってこれました。

お互いに「おかげさまで」という感じでしょうか。あとを引き継ぐのは、私。長男の健悟です。

 

茶畑と健悟1

 

私、健悟が生まれ、先代はますます茶農業に熱を入れました。

 

 

祭り2母親

茶工場の前が、牧之原台地の開拓をした人を祭ってある水神社です。宮前茶屋と言いたくなるほど、水神社は近い存在。

 

水神社祭り神輿

私は小さい頃から、祭りには法被を着て参加していました。今見ても、子どもの法被姿はかわいいものです。

 

 

水神社遊び場

水神社で虫とり。子どもたちの遊び場でした。

 

 

茶畑健悟2新芽

茶畑の通路も、三輪車の遊び場。

子どもの成長と同じで、春の新芽の成長は早かった!

 

 

弟誕生

8つ年下の弟、睦紀が誕生!

お兄ちゃんの意識が、むくむくっと!

 

 

健悟凧

 カイトの絵を書いているところです。農家を継ぐ意識が芽生えているのかな?

 

 

 

茶工場

 

平成8年

茶部屋から、茶工場へ。

新たに大きな工場を作りました。

水神社の桜の下から、撮影。

 

茶工場が出来てからも、色々なことがありました。また、ゆっくり記憶を付け足していきたいと思います。

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