牧之原台地に、大茶園が誕生したわけ
牧之原台地のお茶の歴史は、明治維新にさかのぼります。江戸時代が終わり、仕事がなくなった武士や大井川の人足たちが、輸出用のお茶を作ろうと台地を開墾したのが始まりです。
今でこそ牧之原台地は茶畑が辺り一面に広がっていますが、開拓当時は樹木に覆われ、畑どころか、人が住める所ではありませんでした。
まずはこの地に井戸を掘り、開拓者たちが生きていける基盤を作るところから始まりました。
わが家は、宮前茶屋
てっちゃんの茶工房の目の前には「水神社」と呼ばれるお宮さんがあります。ここには、開拓当時、牧之原台地の開墾に尽力を尽くした、丸尾文六さんという方が祭られていて、今でも毎年地元のお祭りになっています。
丸尾さんは、江戸時代が終わり仕事が薄くなっていた川越人足の人達を使い、牧之原台地を開墾したと言われています。その為、「水神社」があり、てっちゃんの茶工房もあるこの地域は、今現在も丸尾原と呼ばれています。
ちなみに、うちの周りには茶畑しかない為、小さな頃は、サッカーをしたり、自転車の練習をしたりと、わたしにとっては子供時代の遊び場でした。
戦後の新発明!深蒸し茶の始まり
深蒸し茶の発祥は、てっちゃんの茶工房がある牧之原台地と同じ、菊川市と言われています。
昔から静岡県は、関東方面を中心にお茶を出荷していました。当時、浄水技術が発達していなかった為、東京の水はまずいと言われていたようです。その水で繊細な普通煎茶を淹れても、お茶の良さは伝わりにくかったのかもしれません。
そこで、そのまずい水に勝てる、味が濃くて美味しく飲めるお茶を何とか作ろうとして生まれたのが、深蒸し茶(写真左側)です。深蒸しにすることによって、新鮮な香りは少なくなりますが、どんな水で入れてもお茶の味が勝つ、濃いお茶になったそうです。
深蒸し茶、今とむかし
今では、日本全国、水がまずいという事はほとんどありませんので、深蒸し茶も昔ほど「蒸かす」という事はなくなってきました。その為、最近の深蒸し茶は、青々とした新鮮な色や香りを残した、味の濃いお茶になってきています。
ちなみに・・・。
「隣の菊川市」ですが、実はてっちゃんの茶工房からは道路を挟んだ反対側にあり、ものすごく近い場所です!
牧之原台地、特産の深蒸し茶
牧之原台地は土が肥え、全国でも有数な日照時間長さを誇ります。また、適度な霧も発生し、お茶作りには欠かせない大地の恵みがあります。牧之原台地にとって深蒸し茶は、適地適作なお茶作りです。
その天の恵みのおかげで、
⇒ 健康で、しっかりとした葉肉の厚い芽が育つ。
⇒ 葉肉が厚い分、お茶を長く蒸す事ができる。
⇒ 甘みがあり、渋みが少ない、味と色の濃いお茶が出来る。
特に、「やぶきた品種」で作る深蒸し茶は独特のうま味を持ち、牧之原の土地だからこそ生まれたお茶と言えます。芯まで蒸けて、色が鮮やかでコクがあり、まろやかな甘みを合わせ持ち、煎がきくのが特徴です。